
DISTRIBUTION X EARTH
1998
words by Benjamin Morse
一本の細いワイヤーが、樹木の幹の拓本から、コラージュ作品までをつないでいます。それは、宮森がこれまで韓国や日本各地を旅しながら集めてきた拓本の記憶を呼び起こすものであり、彼女の初期のスタイルを思わせます。来場者の頭上には、ステンレスのワイヤーに吊るされた、他のフロッタージュによる表面の断片が浮かんでいます。
Layers of Space 1998 Washi, Charcoal, Shell Powder, Oil on Canvas, Wire
樹は、向かいにあるコラージュ作品と比べて、より自然なままの姿で存在しています。一方のコラージュは、人の手によって築かれた構造物であり、自然というよりも意図された造形です。展示空間に見られる建築的な要素と呼応しながら、そこには「人の手の痕跡」が確かに刻まれ、芸術の存在を静かに主張しています。
接着剤と紙を交互に重ねた層は、伝統的で素朴な素材のまま、表面の下にひそやかに息づいています。それは、作家の人間性、さらには死すべき存在であることまでもを静かに物語ります。こうした痕跡は、観る者の心に歴史として刻まれ、「人間だからこそ生み出せる芸術」として強い印象を残します。
PD x Earth 1998
Root, Sap Paint, Copper Vessel, Rain Drops, Wire
Trunk 1998
Charcoal on Canvas
私は敗北した、けれども。。
大きな切り株と、その根系全体が重みをたたえて横たえられている。まるで敗北した人間のような身ぶりを見せながら。かつて大地と唯一つながっていたこの力強い根は、いま、小さな銀のスプーンがちょこんと置かれた幼児用の椅子の前に、ひれ伏すように佇んでいる。
大量生産された製品であっても、私たちにとってそれは馴染み深く、想像力をかきたてる存在だ。だが、私たちの意識からは、それらが本来持っていた壮大な起源——大地と結びついた力そのもの——がすでに失われているのかもしれない。消費者の想像は、機能に傾き、源への記憶を遠ざけてしまう。
動物性の膠(にかわ)と貝殻の粉を混ぜたものが、根の表面を包み、幼児椅子の表面には和紙が巻かれている。そこに施された木のフロッタージュ(拓本)は、森のエネルギーへの回帰である。
I Was Defeated, Yet... 1998 Root, Chair, Baby Spoon, Washi, Charcoal, Shell Powder
買い物する木
茨城県つくば市の「カスミつくばセンター」は、ショッピングセンターやファミリーレストランなどを展開する流通企業によって建てられた建築で、設計はマイケル・グレイブスである。洗練された空間に、買い物カートから一本の枝が伸び、まるで木が育っているかのような作品が現れる。この異素材によるユーモラスな結びつきは、個人の欲望に応える商品が棚に際限なく並ぶ、大量消費社会の単調さと過剰さを映し出す。宮森はその源へと立ち返るように、森の記憶を枝として作品に挿入する。カートから伸びた枝の先端には小さな銀の芽があり、2階の階段を上り下りする人々の視線にふと触れる。枝の表面は、別の木の樹皮を木炭で写し取った拓本を和紙に施し、包むように仕上げられている。そこには、「表面の上にさらに重ねられた表面」として、もうひとつの樹の時間が記録されている。
買い物する木 1998 木、銀、ショッピングカート、和紙Branch, Silver, Shopping Cart, Washi, Charcoal
仕事する森 1998年 『流通と大地 Distribution x Earth 』展より
仕事する森 のためのドローイング 1998年 水彩、色鉛筆、紙 33 x 50.8 cm
『仕事する森』コンピューターディテール部分