
IMAGINA イマジナ
2002
ある弟子が、賢者にたずねた。
「私が見る物と物のあいだには、何があるのですか?」
賢者は答えた。
「すべてだ。」
「では、どうすればその“すべて”が見えるのですか?」”
賢者は続けた。
「“見る”というのは、多層的な体験なのだ。
目の前にあるものにただ気づくだけではなく、
過去・現在・未来に起こりうるあらゆる可能性を想像し、
そのすべてを抱きしめるように生きること。
そうすれば、君は“叡智”の一端に触れるだろう。
想像する力を学びなさい。――それが、すべての始まりなのだから。」
根を洗う宮森敬子
これは、私たちに向けて宮森敬子が差し出した問いかけである。
「ここ」と「いま」を越えて「見る」という行為を広げ、心の眼でものを見よ――と。
その手がかりとして、彼女はひとつのオブジェクトを私たちに託している。
それはかつて、ペンシルバニア州フィラデルフィアのケンブリッジ・プラザ公営住宅近く、11番通りとジラード通りの角に立っていた、力強く葉を茂らせたブナの木の一部だった。
いま、それは眼前に横たわり、内側をさらけ出している。裸のまま、誰の視線も拒まずに。
――さあ、あなたには何が見えるだろうか?
リスや鳥たちの姿だろうか。あるいは、都市が生まれる前のこの土地を歩いていたレニー・レナペ族の記憶かもしれない。
それとも、この土地に理想を抱いてやってきたウィリアム・ペンと街の設計者たち。
戦後の経済成長のなかで建設されたケンブリッジ・プラザと、そのそばに植えられたこの木――誰かが日陰で弁当を広げ、誰かが口づけを交わし、子どもが登って隠れる場所として。
もしかするとこの木は、すべてが変わってゆく世界のなかで、人々が心の拠りどころとする「持続」や「安定」の象徴であったのかもしれない。
実際、この木は生き延びた。
空をめざすその幹の中には、煉瓦、ガラス、瓶のキャップまでが取り込まれている。
都市の時間とともに、それらすべてを呑み込みながら――。
《Imagina》 2002年 樹の根、煉瓦、ガラス、金属、ワイヤー、枝、アクリルと水のプリズム
《Imagina》根の構造・ディテール
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ウォータープリズムによって生まれた虹
ウォータープリズムのディテール