
メロディ & 竜ヶ崎長峰城跡
MELODY & RYUGASAKI FOREST
2000年 & 2003年
I. メロディのはじまり 龍ヶ崎の森にて
2000年
“2000年の冬、日本・龍ヶ崎の森を訪れた。
その森はまもなく都市公園として整備される予定で、多くの木々に伐採を示すテープが巻かれていた。
私は、伐られる前の木々の肌にそっと和紙をあて、木炭でその記憶を写し取った。
柔らかな風に揺れるように、それらの和紙を森の中に吊るし、57メートルにわたる静かなインスタレーションとした。
3年後、同じ森を再び訪れた。
工事の途中で乾いた風景の中に、かろうじて生き残った木々があった。
私はその樹皮に、あらためて和紙を巻き、再び木炭で写し取った。
こうして生まれた和紙は海を越え、アメリカで展示された一台のピアノに貼られることとなった。
その森は、もう存在しない。
けれど私は願っている――
人々がその木々を思い出し、音楽を奏でることで、
この地にともに生きていた命たちの存在が、
そっとよみがえるように。
— 宮森敬子
Imagine – Here and There 2000年 和紙、木炭、ワイヤー
Imagine – Here and There 2000年 和紙、木炭、ワイヤー
ディテール Imagine – Here and There

II. メロディー
2003年
メロディー《Melody》において、宮森は龍ヶ崎の森で採取した樹拓を、さまざまな人工物や自然物に転写し、日本の森から響いてくるような「旋律(メロディ)」を創り出した。森も樹々もすでに存在しないが、その存在は、宮森の手によって別のかたちで保存されたのである。
樹の表面を別の物体——それが大量生産された人工物であれ、自然物であれ——に写し取る行為は、「転写」「重なり」「層」という宮森の一貫したテーマをさらに発展させるものとなった。
「再生」や「新たな命」を表現するため、宮森はしばしば森を歩き、適した木の表面を探してフロッタージュ(擦り出し)の技法を行う。素材と自然を重視する彼女の制作は、野外で完結することもある。枝を焼いて木炭をつくるために、自ら小さな穴を掘ることもある。これが彼女の作品における、唯一の「製造」に近い工程かもしれない。
自然で未加工の素材に焦点を当てることで、かつて「古い」とされた物に新たな命を吹き込んでいるのだ。
メロディー 2003年 和紙、木炭、ピアノ、水のプリズム、タイプライター、木の根、その他包まれたオブジェクト
宮森は、樹という存在を、物や空間のつながりを象徴するものとして選んだ。木は、周囲とほぼ対等に「与え、受け取る」関係のなかで生きている。彼女の作品は、私たち自身もまた、物と物のあいだや他者のなかに存在していることを静かに示している。
このような視点を通じて、私たちは自分の存在を、肉体的な自己の外にも感じ取ることができるかもしれない。そのとき、時間や距離といったものの意味は薄れ、環境を大切にすることが、すなわち自分自身を大切にすることへとつながっていく。
この展覧会では、和紙で包まれたタイプライターとピアノを用いて、地元の詩人とピアニストが即興のライブパフォーマンスを行った。音と言葉、そして空間が響き合い、作品に新たな命が吹き込まれた。
メロディーよりピアノのディテール(2003年)