ロビング (樹拓)
1999 - 現在
樹木の表面の拓を集め始めて20年以上が経つ
かつて、行き詰まった時に行く場所があった
暖かな、美しい光が、樹々に降りそそいでいた
その時の感じをとどめておくため、和紙にそっと樹の表面の模様を写しておいた
時がたって、私はいろいろなところを旅した
日本の樹、アメリカの樹、
アフリカの、ルーマニアの、イラクの、それぞれの場所
それらの全く異なる場所から集められた樹拓は
私のスタジオでは、同じように見える
宮森と樹、ルーマニア 2016年
和紙と木炭で樹木の表面を写し取るという行為は、もともと宮森が自らの安息のために始めたものであった。だがそれはやがて、統一された世界を静かに記録してゆく、彼女の生涯を貫く仕事へと発展していく。
和紙は樹皮の繊維から生まれ、木炭は宮森自身が伐った木の枝や樹皮を焼いて作られる。そうして生まれた素材を用いて、生きた樹の表面を写すロビング(樹拓)が行われる。
その瞬間、紙・木炭・生木という「樹の生命の三つのかたち」が一点に重なり、時間と存在の交差点として、樹拓のなかにその記憶が刻まれる。
ニューヨーク州 グリーンカウンティの樹拓 アメリカ 2017年
ペンシルバニア州の樹拓 アメリカ 2017年
宮森が樹拓を行う場所は多岐にわたる。歴史的な場所であることもあれば、日常の一部として過ごした場所、あるいは一度きり通り過ぎ、二度と訪れることのない場所もある。 それぞれの土地は大きく異なっているにもかかわらず、紙の上に現れる樹拓の表情は、ほとんど見分けがつかない。
それは、私たちの存在にまつわる、より深い真実を浮かび上がらせる。 この行為は、宮森が出会った一つひとつの瞬間に敬意を払いながらも、それらに優劣や序列を設けることなく、静かに手放してゆく営みである。
あるいは、私たちの存在もまた、樹の目にはそのように映っているのかもしれない。
ローマの樹拓 イタリア 2006年
和紙で樹をくるんで、
手製の木炭でこすり(ロビング)
木肌のパターンを写す。
古いもの、
新しいもの、
様々な場所。
時空間を超えて「ぱちっ」と会う、
樹から生まれた
和紙と木炭と
覆われる様々な表面。
場所の記憶は
時間とともに薄れ、
均一化されていく。
森で、
都会で、
裕福な家庭の前で、
スラム街で、
殺戮の行われている国で、
何処そこの国で。
違いを作っているものの意味を、
この均一に見える世界で、
一つの繋がりの中で
考えている。
ニューヨーク市の樹拓 アメリカ 2010年
アマゾン熱帯雨林 マナウス ブラジル 2010年
宮森が樹拓を採取し続けるなかで、「ロビングによって何を写し取ることができるのか」という初期の問いは、やがて作品に向き合う人々のあいだにも静かに共有されていった。
彼女は、都市化の進行により伐採が予定されている樹木に注目し、その表皮を丁寧に採取することに多くの時間を費やしてきた。また、そうして得た樹拓を使い、人工物を包む試みにも取り組んでいる。それは、人間と自然の関係を映し出すだけでなく、異なる土地、異なる文化圏で採集された樹拓を用いることで、人と人とのつながりそのものを象徴する装置となっている。
宮森の樹拓採取は今も続いており、その過程とともに、作品を通じて伝えられる概念もまた変化を続けている。ここに示すのは、統一され、相互に関係しあう世界観をかたちづくるために、彼女が人生の中で拾い集めてきた、小さな断片の記録の一部である。
最近の樹拓の記録は、日々インスタグラム上にアーカイブされている。
フィラデルフィア 2002年
ノースフィラデルフィア 1999年
フィラデルフィア 米国 2019年
鳥取 2019年
ナルモル ケニア 2010年
グリーンカウンティ ニューヨーク 米国 2017年
フラッグスタッフ アリゾナ 2013年
富山 2017年
敦賀 2019年
長野 2007年
ナルモル ケニア 2010年
アマゾン熱帯雨林 マナウス ブラジル 2010年
金沢 2017年